2019年05月09日

aとtheの底力

2015年に一度読んだことのある以下の本を再読してみた。

(前のエントリ 冠詞2



以前はよくわかっていなかったことが今回はかなりうなずいて読むことができた。

本書の大きな主張の柱は

aの本質

「カタチあるモノのリンカクが1つ頭の中に現れる」

theの本質

「他のモノと区別されていること、話し手同士の了解」

無冠詞はちょっと難しいが

「相手との了解が成立していない場面で、かつ後ろに来るのはaをつけない(リンカクを持たない名詞(注)の場合」

(注)例として、可算名詞の複数形、不可算名詞、固有名詞、動詞や形容詞が隠れている単語、など。

とする。はっきりいってこれだけだ。これぐらいのことわかるよという人は多いけど、実際にはうまく使えないのが冠詞。そういう意味ではさまざな事例を解説してくれているので、丁寧に読めば、この本質が少しわかるかもしれない。

以前、読んだときは頭でわかったという感じがしただけで、腑には落ちていなかった。今回、腑に落ちるようになったのは、英作文を勉強しつつ、冠詞の存在を意識して、これはどういう冠詞の使われ方なのか、自分なりに調べたり、意味づけしたりしてきたのでそれなりに冠詞の意味するもの、イメージするものが少し感覚としてわかってきたというのもあるのかもしれない。

最終的には他の文法事項と同じく、あるいは句動詞と同じく、さまざまな文脈で冠詞を意識して、精読、音読し、自分の言葉として冠詞の意味を感じ取れるようになることが必要かなと思っている。(やっぱり音読して、自分で使ってみるということだ)


ちょっと話は変わるけど、おもしろかったのはハイコンテクスト社会とローコンテクスト社会の違い。

日本は体験を共有している人たちの社会であり、濃い関係の文化を持っている。そのため言葉で表現される部分が少なく、言葉以外の場の雰囲気みたいなもので理解する。これがハイコンテクストな社会だ。この場合、多少曖昧であっても読み手や聞き手が「察する」ことが可能だ。

一方、英語圏等はローコンテクスト社会だという。

ローコンテクストな文化では、互いに共有している情報が少ないので、言語化しなければならない部分が多くなる。数であったり、相手とともに情報を共有しているかどうかを確認する冠詞が必要なのだ。

したがって、英語では、冠詞と単数複数で丁寧に情報を伝えることとなる。

マーク・ピーターセン『日本人の英語』を読んだときに、日本人はtheを余分に使う傾向がある、という。

おそらく日本人はハイコンテクストな社会なので話し手は聞き手も共に了解していると思い込むことが多いのかもしれない。だから名詞を裸で使ってはいけないといわれると、やたらとtheをつけたくなる。

また本書でも指摘されていたけれど、実験によれば(pp.127-128)、可算不可算名詞を持たない日本人よりも可算不可算名詞を持つ英語圏の人の方が数に敏感なのだという。日本人はあまり数を意識することはない。そのため「a」が使いにくいのかもしれない。

文化的背景を理解しつつ、文章音読でも冠詞のニュアンスに気をつけていこうと思う。

posted by NOBU at 08:00| Comment(0) | ライティング | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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